社会で活躍するOBの紹介

社会で活躍している、あるいは活躍された卒業生(同窓会会員)を紹介したいと思います。
不定期に取材した方々を順不同でご紹介いたします。取材者の主観が入りますがご了承ください。
なお、文面に間違いや、掲載に差しさわりがあるものがあれば、問い合わせフォームより、ご連絡下さい。

東京トヨペット(株)管理本部長 専務取締役 伊藤隆之氏

昭和48年3月  滝高等学校卒業
昭和52年3月  一橋大学経済学部卒業
昭和52年4月  トヨタ自動車販売株式会社入社 企画調査部
昭和59年9月  労働組合専従役員 トヨタ労組東京支部長
昭和62年11月 連合(全日本労働組合総連合会)国際局次長
平成2年9月    自動車総連 産業政策局長
平成6年9月    トヨタ自動車(株)調査部 海外調査課長
平成11年1月  トヨタ店営業本部 地区担当員(北関東エリア担当)
平成15年1月  同 地域統括部長
平成19年6月  東京トヨペット株式会社 取締役 中部営業部長
平成25年6月  同 専務取締役 管理本部長

“これまでの経歴を教えて下さい”

大学卒業して、トヨタ自販に入社しました。当時、トヨタは自販と自工に分かれていました。自販は販売会社で、自工は製造会社です。昭和57年に合併して、トヨタでは部長まで勤めました。
そして、平成19年から東京トヨペットに出向し、現在は転籍しています。

東京トヨペットは、愛知県を例にとると、名古屋トヨペットの東京版と思って頂けるとわかりやすいかもしれませんが、違いは第一にトヨタ自動車の直営店であること、又、規模は大きく、世界1のディーラーです。従業員は3000人で、年間45000台、月に4000台を販売しています。新車営業スタッフは600人で月4000台ですから、1人新車を月5台売っています。新車だけでなくアフターケアもしており、店舗は都内に100店舗ありますが、都内保有台数34万台のお客様にご愛顧を頂いています。レクサスも販売していますが、お客様には皇族、各国大使館、政治家、文化人、経営者、外国人、スポーツ選手の方々がいて、そういう方々の人となりに触れられるという楽しさもあります。

東京トヨペットは、コンプライアンスに厳しい会社で従業員に対しても「正しいことを正しく」と自律を求めています。当社では、それだけではなく、とにかく徳がある会社にしようと、社会貢献に力を入れています。これまでも福祉車両を寄贈したり、苗木を寄贈したり、東日本大震災の後は東北復興支援ボランティアを地道に継続しています。

“震災のボランティアを会社からですか?”

そうです。会社で大型バスを手配して、これまでに32回実施し、累計1000人に、この11月で到達する予定です。

月曜の夜10時に出発して、朝5時に現地到着して、その日の夜11時頃に東京に戻るというものです。1台のバスに40人。朝9時~午後3時までボランティア活動をします。朝昼はコンビニ弁当で、夜はインターチェンジで立ち食いソバというハードなスケジュールです。

これがお客様の間で評判になりました。営業に使うつもりはなかったのですが、ボランティアに参加した社員はお客様に世間話として持ち出すこともありますが、それがお客様にも好感を持たれたようです。

東京トヨペットは、トヨタ自動車から新しいマーケティング手法にトライして欲しいとか、お客様の反応を教えて欲しいという要望がくるので、お客様とコミュニケーションをとることは非常に重要です。

また、この支援ボランティアにより社員の連帯感、会社への帰属意識が向上しました。これが嬉しい誤算でした。

 “意識向上とは、やはりボランティアをやってということですか?”

私の今の管理本部長という立場の仕事は、営業ではなく、総務、人事、経理、コンプライアンスです。3000人の従業員が当社に働いて良かったと、そう思ってくれればいいという思いで仕事をしています。このボランティアツアーには、私もつなぎ(エンジニア用の作業衣)を着て3回行きました。社長も行きました。会社のつなぎを着ることに誇りをもって社員が一丸となれたと思います。そして、ボランティアの作業現場には上司はいない訳で、リーダーも決めず自主性に任せていますが、現地に行くと、誰が何をするとか、スケジュールなどを自主的に決めて活動をしているようです。

こういうことができる風土があったということは経営者としてうれしいことです。会社はバスを出しているだけです。最初は、翌日の仕事に支障がないように宿泊させたら?という意見もありましたが、経費がかさむこともあり弾丸ツアーになりました。ボランティア休暇は取得できるようにしたので、有給使わなくても良いようになっています。これを社内で募集したら、想定以上の反応があり、2年を経過した今でも続いています。

“ところで、高校時代はどうでしたか?”

決して優等生ではありませんでした。遅刻、早弁、早退。4時間目が自習になった時に、みんなで早弁したのを覚えています。担任の小川先生がやってきて、早弁していた仲間は皆、職員室に連行されましたが、私はとっさに窓から弁当箱投げてつかまりませんでした。基本的にサッカーばかりやっていました。サッカー部のキャプテンで高校3年の夏までサッカーをしていました。実に牧歌的な日々でした。

高校時代一番印象に残っているのは、3年の秋の学園祭です。古知野(こちの)の友達の家に何泊も、2泊ぐらいかな?泊まって、神輿と、巨大な桟敷と看板を作りました。材料も調達して、みんなで作りました。土建屋の息子がいたから本格的だったように思うけど、いわゆる優等生も多く参加していました。中心になっていたのは、東大行った沢田とか、東工大に行った酒井、名大に進学した三輪、学年トップ連中がみんな参加していました。

終わった後、グランドで残骸物の焼却、いわゆるボンファイヤーをやり、フォークダンスとなった訳ですが、日頃怖い桜井先生が黙ってほうき持って掃除していた姿に感銘を受けたことを今でも覚えています。


▲サッカー部(写真後ろ中央が伊藤氏)


▲学園祭(体育祭)高校3年神輿の様子

そういえば、今回の取材で写真を探していたら、高1の徒然草の自習ノートが出てきました。私はいわゆる外普で、公立高校と縁がなく滝に行きましたが、この挫折感がバネとなって高校時代勉強は懸命にしました。

“今後の目標・課題は何かありますか?”

今後の課題は、人材育成です。経営に携わる人であれば、誰もが向き合う課題だと思います。人を育てるにはどうするか、基本的には、場を与えるということだと思いますが、当社の場合、100店舗に3000人が分散しているため、30人が100の拠点にいることになる。これは人を育てるには非常に難しい環境で、折りにふれ、集めて研修をやる。いろいろなグループで集める。お互いがお互いを知り合い、視野を広げて、ライバルと認識するようにする、ということが重要です。

そもそも、パソコンや携帯電話が入ってきて職場環境がガラっと変わった。ここ10年から15年ぐらいかな?個人がパソコンで仕事をするようになったのは。常時パソコンに向かっている。昔は、共同作業をやっていて、自然と助けあっていた。それが、今はパソコン相手で、伝達するにもメール。とにかく会話がなくなり、お互いを刺激しあうということがなくなりました。

今はよほど意識して助け合う場を作らないといけない。
だから、ボランティア活動は思いがけずいい場になった。社員数は3000人ですけど、社員が一同に会することはなく、ボランティアのバスに乗り込んで初めて会う人がほとんどで、ボランティアでは上司も部下もなく、東京トヨペットという会社全体で連帯感が生まれた。現地のボランティア運営側からこれをやって下さいと言われるだけで、どういう手順でやりましょうか?と自然と出てくる。これは良かった。これからも、こういう場を与えていくことが重要だと思う。

それから、労働組合を10年やって、自動車総連、連合まで経験させてもらう機会があり、途上国支援も手がけました。インド、アフリカ、アジアの途上国の労組指導者を日本に招待し、経営、そして行政と労組との関係も実態を見てもらいました。そこで途上国の人達が日本をどう見ているかがわかりました。それ以来、どう見られているかを意識するようになりました。

これはとてもいい経験になりました。
自分が言いたいことが伝わるか。伝えると伝わるは違う。相手の立場なり、考え方なり、文化を理解することが重要です。
“Cross Cultural Communication”、異文化交流とはこういうことかと思い知らされました。
こういうことを社員一人ひとりが学んでくれたらと望みます。

 お忙しい中、取材協力をありがとうございました。今後、益々のご活躍を期待致します。
(取材後、東京トヨペットの東日本大震災ボランティア冊子を頂きました)

2013年10月取材
(文責:S57卒 佐宗美智代)