1984年3月 滝高等学校卒業
1985年4月 慶応大学商学部入学
1989年3月 慶応大学商学部卒業
1991年3月 早稲田大学大学院商学研究科卒業
1991年4月 大原簿記学校公認会計士課専任講師
1992年10月 センチュリー監査法人(現 新日本監査法人)入所
1995年3月 公認会計士登録
1998年7月 税理士登録
2000年8月 株式会社アーケイディア・グループ設立 代表取締役就任
2003年3月 税理士法人アーケイディア(現 清和税理士法人)設立 代表社員就任
2004年4月 清和監査法人設立 代表社員就任
“滝高校元教諭の堀西先生ご自慢の教え子と聞いて取材に来ました。高校時代は?”
こんなこと言っていいのか?母校の滝高校は好きではありません。ずっと落ちこぼれでしたから。B組だったのですよ。C組に落ちたこともあります。当時は、文系はA組が一番成績が良くて、B,Cと成績によりクラス分けがされていました。今はどうか知りませんが。
そして、僕はだいたいBとCを行ったり来たりしていました。クラスにより教科書も違っていたから大変でしたよ。だからずっと劣等感を持っていて、滝にはあまりいい感情を持っていないです。堀西先生がいなかったら同窓会にも顔を出していないですね。
滝高校以来、自分はダメだ、ダメだと思っていて、それは今でもあると思います。
“しかし慶応大学に入学してますよねー?”
現役ではなく、1浪してですよ。高校3年の秋ごろまで、偏差値50でしたから。
大学時代は、体育会のアーチェリーをやっていました。チームはオリンピックで活躍した、山本博さん率いる日本体育大学と戦っていて、関東2位でした。ほとんど勉強していなくて、実家が一宮でカメラ屋をやっているから、ビックカメラに勤めたいと思っていました。
しかし、それを周りの連中に話したら、「本気か?」と聞かれ、逆にダメなの?と疑問に思いました。当時、周りはみんな金融、商社に就職していました。慶応の人達は要領がよく、頭がいい。落ちこぼれの自分はこの人達に勝てないと思いました。それで、何やろうか?と考えた時に、大学の先生から会計士になりなさいよと勧められ、時間を稼ぐために大学院でもう少し勉強したら?とアドバイスされたのです。体育会を引退してから勉強しましたが、第二外国語が試験科目に入る慶応は勉強が間に合わず落ちてしまい、早稲田がありがたいことに拾ってくれました。
“公認会計士は学生時代に?”
いえ、大学院を卒業した年に合格しました。自分は体育会で朝から晩まで練習していたから、一般ピープルに負けるわけないと思っていました。でも周りのレベルが異常に高く、井の中の蛙だったことを思い知らされました。
会計士合格後は3年間インターンが必要ですが、1年間は何をやってもいいんですよ。少しでも広く経験を積みたいと思い会計士の専門学校の講師を1年やりました。
その後、監査法人に5年つとめて、1997年3月に独立しましたが、一人では食っていけなかったです。この時は営業がダメでした。人脈が全くありませんでしたから。その後、IT会社(メッツ)の株式公開の支援を手掛けたことがきっかけで、そこの取締役となり、2000年に上場できました。マザーズ3号銘柄です。この株を少し持っていたので売って、ある程度の資金を獲得しました。
しかし、この会社が上場したら自分の仕事がなくなって。株式公開の経験を生かしてコンサルティングを中心に行う会社を作りました。でも、すぐにネットバブルがはじけて、これも思った通りに成長しませんでした。
その後、仕事をいただければ何でもやる精神で、税理士法人を作り、更に監査法人を作り、この監査法人が国内で10位ぐらいになりましたが。
“うまくいかなかったというのは?”
監査法人を創って半年で6社ぐらいのクライアントさんができ、監査もしっかり行っていましたが、東洋経済に、ジャンク監査法人の一つと名指しされたのです。クライアントさんの質が悪かったんですが、監査法人の社名を変更し、当時のクライアントさんのほとんどと解約せざるをえなくなりました。
もはや、監査法人はやめようと思いましたが、たまたま知り合いの先生が、川田先生と言いますが、カネボウの粉飾決算で問題となった中央青山監査法人をやめて、次の道を模索されていました。
(監査法人は圧倒的に大きいものが4つあります。海外も同様で、それぞれ提携しているんですね。中央青山監査法人もその一つでした。)
この先生が悩んでいると聞いた時に、一緒に再スタートを切りました。
滝でバカ扱いされたから、人に頭を下げるのに抵抗がなかったのかもしれません。高校時代はつらかったけど、何が福に転じるか分からないですね。
こうして、営業の頑張りもあって、国内で11番目の売上の監査法人になったわけです。
“現在の監査法人のお仕事は?”
今日は実は落ち込んでいるんです。一番嫌な日です。
今年の試験合格者を10人ぐらい採用したいと思っていましたが、結局4人しか採用できませんでした。11月中旬に公認会計士の試験発表があるのですが、今日(12月6日)が大手4社の内定発表なのです。それで、面接の時に、「御社が一番です」なんて言って、内定を出した学生から断りの電話が続々とあって。落ち込んでいるわけです。
悔しいですねぇ。二次募集をしようかどうしようか考えているところです。
すみません。余計な話でしたね。
監査法人の仕事でしたね。監査法人の仕事は難しいですよ。まっとうなことを言って、経営者が納得すれば簡単ですが、北風と太陽みたいに一層隠すだけですから。
結局のところ、経営者が真実を伝えようと思うように信頼を得ることが大切です。監査して、変なことやっているというのは勘でわかるけど、証拠をつかむのは難しい。経営者が、自ずと正しい方向を向くように、経営者を支えるのが我々の役割です
経営者からお金をいただいて、経営者にやかましいことを言う。我々の仕事はわかりにくいし、難しい。でも、最近は会計のコンサルティングより監査の方が面白いと思えるようになりました。
“コンサルティングとは、具体的にはどんなことをするのですか?”
例えば、会社を買収すると、相手の会社の財務状況を調べます。財務デューデリジェンスと言います。あるいは、会社を再建するとき、銀行にちょっと返済を猶予してよってお願いする時がある。こういう時にその根拠となる資料を作る、そんなこともコンサルティングの仕事になります。
監査法人とともに、コンサルティングの仕事ももちろんしています。
“なるほど・・・最後に今後の目標をお聞かせ下さい”
今後、監査法人の規模を大きくしたいと思っています。4大監査法人を抜かすのは困難ですが、5番目はうちの4倍の規模です。この5番目になろうと思っています。
現在は、11番目で、10番、9番は比較的簡単にいける。
更に多くのクライアントさまとかかわりたいです。いろいろな経営者に会えますし。大抵の経営者は能力が高いのに苦労していて、とても魅力があります。そういう人達と話ができることは、この仕事の特典と思います。
自分自身の組織を運営するノウハウも習得できますよ。
というのが当面の目標ですが、本当の目標は、その後、引退したら、アフリカかどこか後進国に行って、会社を作って働く場を提供したいと思っています。20代の時、うつっぽくなって、セラピーをやった時に、突然天啓のようなものを感じ、なんとかできないかな、とずっと考えています。引退する時に、それぐらい余裕があるといいですが。
お忙しい中、ありがとうございました。今後の益々のご活躍を期待します。
【編集後記】
滝が好きじゃないとおっしゃり、学校で落ちこぼれで成績が悪かったこと、浪人したこと、大学院落ちたこと、全てしっかり書いてと言われてどうしようかと思いましたが、ご指示通り書きました。
滝の落ちこぼれであっても、全くひがむことはない。頑張れば、きっと挽回できる。ということを若い人に伝えたいそうです。
取材では、会社の場所が、霞が関のど真中にあり、金融庁会計監査院の隣でびっくり。更には丸の内皇居が窓から見られるという事務所でびっくりしました。大出世された滝高校の誇るOBと思います。
2012年12月6日取材
(文責:S57卒 佐宗美智代)