首都大学東京 経営学系 教授、経済学博士(東京大学)
(平成21年3月31日 首都大学東京研究室にて取材)
1948年 愛知県木曽川町(現一宮市)に生まれる
1961年4月 滝中学校入学
1967年3月 滝高等学校卒業
1972年3月 東京大学経済学部卒業
1979年 東京大学大学院経済学研究科博士課程修了 東京都立大学専任講師
1992年 東京都立大学経済学部教授
2005年 首都大学東京に名称変更
専攻:
経済理論、経済学説史
著書:
『再生産論の基礎構造』八朔社、1993年
『《資本論》第2・3巻を読む』上・下、学習の友社、2001年.
『《資本論》第1巻を学ぶ 宮川彰講義録』ほっとブックス新栄、2006年.
”どんな研究をされているのですか?”
経済学が紆余曲折してたどってきた、「資本の蓄積と再生産の理論」を中心に研究しています。最近はこれと関連して中国の動きもおもしろくて目がはなせず、中国経済のゆくへにも関心を注いでいます。
近代の社会では、個々の企業が私益を求めて勝手ばらばらに競い合っています。にもかかわらず、社会全体としてどうにかこうにか調和をとりながら、結果として、いちじるしい経済成長を遂げてきました。どうしてか、どのような要因や条件、ルールがはたらくのか? じつに不思議な仕組みです。アダム・スミスというイギリスの経済学者がこれを「神の見えざる手」の仕わざにたとえたことはよく知られています。
外見ではなかなか見抜きにくいですが、ミクロ領域の個々の企業や家計(家庭の生計)が、マクロ総体として有機的な社会的つながりを持っている。そういう内にひそむ相互依存のメカニズムや法則を解き明かそうという研究です。学派を問わず衆目の評価が一致するこの分野での最高峰は、なんといってもマルクスの『資本論』。20世紀を代表するマクロ経済理論としてケインズの『一般理論』もしばしば比較研究をすすめています。
これによって、高い観点からの俯瞰(ふかん)ができて、福祉社会を目ざすのか、セ−フティネット充実の社会か、生態系環境保全を重視するか、知的産業立国かなど、国づくりの理念やグランド・デザイン、経済活性化の基本コンセプトなどを明らかにすることにつながります。
▲ 著書:『再生産論の基礎構造』
(八朔社、1993年。学位論文)
”今は経済が急激に落ち込んでいますが”
その通りです。逆にいえば、経済がいびつになったり、目詰まりして支障が出たりして経済がうまく行かなくなったとき、その原因や理由を明らかにして、社会を甦らせることにもつながります。ちょうど、お医者さんが病気の原因をただしく診断したときに、適切な処方箋が書けるのとおなじことです。経済社会のやまいを深く正しくとらえると、その解決、処方も、場当たりではなく、緊急避難的な対処療法から根本治療まで、ちゃんと見通して描きだすことができます。
(”それは、すごいですね。まさにトレンディじゃないですか?”)
そうですね。所得格差や非正規派遣雇用が話題になりはじめてきていた少し以前からそうでしたが、金融危機と世界同時不況のいま、出番がふえました。でも、医者や学者がお声掛かって忙しくなるときは、からだや社会に病気がひろがっているということですから、よろこんでばかりいられませんよ。
”最近の話題は?”
勤め先の首都大学東京で、中国からの留学生が学部から大学院の修士、博士課程までいつも5,6名ほど在籍し、彼らを指導しています。研究テーマを選んだり卒業後日中のかけはしとなってくれたりするOBが輩出したりして、中国の大学や研究機関との学術交流が盛んになってきました。
つい先日、(平成21年)3月27日、28日にも、秋葉原でしたシンポジウムを開催しました。参加者70~80人規模の専門家セミナーでしたが、中国から十数名研究者がやってきて、「基軸通貨ドルはどうなるか?円や中国人民元のゆくへは?」というテーマで意見交換しました。
おととし2007年度には外務省から資金援助を得て、日中国交回復以来、最大規模といわれるくらいの交流でした。日本から中国へ、また、中国から日本へ経済学者たちが行き来し、2008年1月には中国から40名の専門研究者が来日し、「日中経済格差問題」をテーマに率直に意見交換しました。
(”今、まさに格差が問題になっていますが、1年以上前とは早いですね”)
一般の人よりひと足はやく前に議論するのは当然です、学者ですから。制度や法則の動きは予測がつきますので。数年前からデータ上にも兆しはあらわれていました。
(”そうですね。失礼しました。日本も問題になっていますが、中国も格差激しいですよね。”)
そうなんです。でも、格差が激しいと外から指摘されるのは中国側もある種メンツがあって、ふつうならなかなか触れられないテーマですよ。負の社会問題であれば、国レベルで、それもとくに日本側から指摘されるのであれば、当然のことです。政治のレベルではなかなか言えない建て前がずっとつよくありますね。しかし、長年にわたる地道に続いた交流が下地にあったおかげか、学術レベルでは話がしやすいのです。フランクに話し合えて、なかなか面白いですよ。シンポの挨拶に来ていた外務省の役人も、日中交流にたずさわって長年苦労した経験をもつ関係者も、日中の学者たちがお互いにかざらずかくさず学術知見をぶつけあっている場面に立ちあって、とても驚いていました。利害損得の対立や打算のない、学術交流のいちばん恵まれた、しあわせな、よい関係ですね。
(”経済格差の問題はどうなんでしょう?”)
経済格差というのは、分配の問題です。格差は分配が歪んでいる状態なんです。つまり、一部に富が集中し、他には富がまわらないということです。分配の歪みをどこまでを容認し、どの程度を異常でゆるしがたいものとしてみなすかは、もちろん時代や社会状態によっても変わるものだし、その是非の基準をどうするかは議論のよちのある問題です。自由な議論がかわされるならば、賢明な世論がおのずと答をだすでしょう。
とはいえ、働きたい意志と意欲があるのに職にありつけない「失業」の場合とか、また、働いているのにまともな就労時間が確保できず、生計費も十分に得られない「ワーキング・プア(働く貧困層)」が大勢いるというのは、まったく異常な、病んだ社会だというほかありません。こういう、ひとがまともに働けない、生きていけないという、明々白々な絶対的な富の分布の偏りに目をそらさずみていけば、屁理屈をこねる弊は避けられると思います。
日中を比較してよく分かることがあります。中国で格差が目立ってきたのは1978年「改革開放」路線をあゆみはじめて市場経済を導入して以降です。日本や欧米で格差拡大が顕著になったのは、規制緩和のすすむここ二十年来の新自由主義の「構造改革」路線のもとです。社会の規制がゆるみ、あるいはゆるみ過ぎて、ちからのつよいものが野放しになるとき、弱肉強食、優勝劣敗の風潮がうまれるのは当たり前です。格差問題はその主な原因が、日中共通の近年の市場経済のあり方に、社会の仕組みに、あることがはっきりしています。
ついでにいえば、自分の「能力や努力の不足のせい」で貧困や苦境に陥るのではと思い込む「自己責任論」が若者にひろがっていますが、これは思い違いですね。基本的、主要には、この社会の市場経済の客観的な仕組み、制度に起因するのだということを、日中の若い人たちに理解してほしいです。
もう一つ、最近の話題ですが、──
大学の「高大連携プロジェクト」(高校と大学との連携教育推進)の一環で、栃木県の栃木高校(男子校)で話をしてきました。進路選択をひかえた高校1年、2年生対象で、近隣の国公立大の文系理系の教授が招かれて「出前講義」をやるのです。テーマは『働くことの意味』。
「株で儲けてなぜ悪い?」という高校生投書を手がかりに、経済学の考え方を紹介しながら「働くということがどんな意味を持つか?」という話をしました。
ホリエモンや、村上ファンドの事件に対して、日本では、年配者は非難しましたが、若者層は賛同した人も少なくなかったようです。中国ではというと、中国の大学1年生に聞くと、株の儲けについて肯定する中国の若者は8割、賭博的でよくないというのは2割。首都大学の若者は、肯定が少し少なくて7割で、批判が3割。中国のほうがある意味で割り切っているところがあります。
けっきょく、いわゆる「不労所得」をどうみるかの問題です。株のもうけを情報収集・分析やリスク負担などの報酬として「勤労所得」とごちゃまぜにする、見さかいない議論が増えています。「株取引ばかり増えたら社会は豊かになれるか」、「どろぼうも、警察や刑務所役人や刑法学者の雇用をつくってやってGDPに貢献する」、「売り手の得は買い手の損、これぞ不滅の真理」。これを手がかりに「あとは自分で考えなさい」と、高校生には問いかけました。栃木高生のアンケートにはすばらしいものがありました。今どきの若いもんはどうせ、といいたくなるでしょうが、しっかりした考えに感動しましたね。
”最後に滝高校の思い出は?”
高校時代は、あけても暮れても部活のバスケットボールばかりやっていました。監督は、青山行雄先生と早世された溝口健先生、大学出たてのぴちぴち熱血の名コンビ。当時の強剛、中京や豊橋東、瑞陵などを相手にして、県で3位までいったんですよ。良い思い出です。私たちのあとまもなくして後輩は、県代表として国体やインターハイに出場しました。
戦後第一次のベビープーマー世代で、ひとクラス60人が詰め込まれてどこもひしめいていました。滝学園創立四十周年をむかえた学年です。滝学園も進学校への転換期、当時の丹羽喜代次校長や大爺教頭が、古知野や近隣の小中学校に出向いていって、生徒を掻き集めてくるといった、今では想像もつかないようなおもしろい時代でした。
ありがとうございました。今後、益々ご活躍されることと思います。
(文責:S57卒 佐宗美智代)