社会で活躍するOBの紹介

社会で活躍している、あるいは活躍された卒業生(同窓会会員)を紹介したいと思います。
不定期に取材した方々を順不同でご紹介いたします。取材者の主観が入りますがご了承ください。
なお、文面に間違いや、掲載に差しさわりがあるものがあれば、問い合わせフォームより、ご連絡下さい。

オペラ歌手 百々あずさ(どど あずさ)氏

ベルリン在住 オペラ歌手<soprano>
昭和48年生まれ。
滝学園高等学校普通科卒、国立音楽大学音楽学部声楽科卒。
1998年イタリア政府給費留学生として渡伊。
トリノのジュゼッペ・ヴエルディ国立音楽院声楽科修了。
第51回全日本学生音楽コンクール名古屋大会声楽部門大学一般の部第1位。
第9回リッカルド・ザンドナイ国際オペラコンクール審査員長特別賞。
第21回サンタ・マルゲリータ国際声楽コンクール第2位。
第21回リニャーノ・サッビアドーロ国際オペラコンクール第3位。
ジュリエッタ・シミオナート国際オペラ コンクール入選、カルロス・ゴメス国際オペラコンクール入選。

『ドン・ジョブァンニ』のドンナ・アンナ、『ラ・ボエーム』のミミ、『マダム・バタフライ』の蝶々夫人などでヨーロッパを中心に活躍。オペラ以外にも、ベートーヴェン第9交響曲、レクイエム、宗教曲などでヨーロッパ、日本でのコンサートに多数出演している。2005年パリのヨーロッパ国連本部にて、アルトゥーロ・トリカニーニ財団主催によるオペラガラ・コンサートに出演。同年夏、ルチアーノ・パヴァロッティに国際的資質を認められ、本人より直々レッスンに招待される。2008年3月、名古屋にてオペラ『道化師』レオンカヴァッロにタイトルロールとして出演。

”受験校からどうして音楽の道に?”

始めは、まわりに医者希望の人が多かったこともあり、医者を目指していました。でも、医者になるには難しいかな?と感じたことと、父がジャズピアニストであり、小さい頃から音楽に囲まれた環境で育ったため、最終的に、やはり音楽の道に、進みたいと考え、音楽大学を受験しました。

”その後、オペラ歌手までの経緯は?”

イタリア政府給費留学生に応募して、当選し、留学しました。

(その制度はどのようなものですか?)

イタリア大使館文化部が募集しているもので、選考は、実技とイタリア語・日本語の面接が行われます。イタリア文学研究者や建築家が多く応募しますが、声楽家もいます。私の年には、20人中、3人が声楽家でした。
このイタリア政府からの給付(奨学金)によって、1年間の生活していけるだけのお金が支給されました。大学は外国からの留学生は無料でした。税金は10ヶ月間で1万円弱。
しかし、1年で支給は終了するので、多くの人は、お金がなくなり1年で中退して日本に戻ってしまいます。私は、翌年よりアルバイトをして、3年半かかって卒業しましたが、この時、滝を卒業したのが大いに役立ちました。

(それはどういうことですか?)

現地には、フィアットがあり、日本の自動車系会社からの海外出張者が多く住んでいました。そこで、日本人駐在員の奥様と子供達に、一般教科(国語・数学・英語)とイタリア語を教えました。日本人学校でも教えました。この教えるきっかけになったのは、日本語で「滝高校卒業」と書いたチラシを張ったら非常に反響があったのです。自動車系企業からの駐在員の多くが愛知県からの人で、滝高校の名前が周知されていたからです。有名な受験校出身者であれば家庭教師として申し分ない、と思われたようです(笑)。
不思議ですが、イタリアで音楽を続けるのに役立ったのは、国音卒ではなく、滝卒という経歴でした。おかげで、卒業までの生活費を稼ぐことができ、イタリアの大学を無事修了できました。

”その後の飛躍のきっかけは?”

亡くなってしまいましたが、3大テノールの、ルチアーノ・パヴァロッティ先生に師事したことです。
最初のきっかけは、2004年夏、友達のオーディションについて行った時です。ずうずうしくも、その場で歌を聴いて欲しいと願い出ました。そしたら、先生は、周りの人達に、「この若い子の歌を聴きたいか?」と聞き、誰かが”いいんじゃない?”というと、「じゃ、歌ってみたら」といいながら、めんどくさそうに下を向いていました。
でも、私が歌い始めると、上を向き、「いい声してる」と一言。
以後、1年半くらいの間、二週間に一度のペースで、時々、不定期でしたが(彼はしばらくの間ニュ一ヨ一クに療養に帰っていらしたり、演奏会で世界中飛び回っていたこともあり)カレがイタリアにいらっしゃる間は集中で3日間とか長い時は2週間毎日自宅に通い、レッスンしていただいたりしていました。2006年クリスマス前(亡くなる1年前)には、彼はすい臓ガンだったのですが、薬が強くて、レッスン中に寝てしまうこともありました。
褒められてうれしかったのは、
「東洋人は難しい。一番の理由は体形が小柄で使えないから。だけどそういう点では貴女は問題ない。それに、声質は世界トップ級の声をしている。だから世界で通用していけるよ。」と言われたことです。

実は、オペラ歌手には、声も大切ですけど、売れるためには見た目も大切です。広いコンサート会場で目にとまるには、体が小柄ではダメです。そういう意味で、舞台で西洋人と並んでひけをとらない体形で良かったです。(笑)

おかげさまで、ヨーロッパを中心に、活動をさせて頂いています。

”日本でのコンサートは? 今回の日本人ピアニストとのコラボコンサートはどのように?”

日本には年に1回ぐらい帰国しています。
今回一緒にコンサートをさせて頂くピアニストとは、イタリアで知り合いました。
2007年1月15日まで、イタリアの先生(マリア・キア一ラ先生)のところに住んでましたが、すごい田舎で日本人はいなかったんです。ある時、郵便局のおばさんが、「日本人? 近くに日本人が引っ越してきたよ。」と教えてくれたんです。現地で知り合って、そして2年くらい前から、地元でサロンコンサートを開催するようになり、更に、イタリア、ロンドンでコンサートをやりました。そして、今回、日本でリサイタルをすることになりました。

”今後は?”

呼ばれれば、どこにでも行きます。どの国にでも行きます。
現在、イタリアはフリーランスとして、ドイツでは専属歌手とゲスト歌手をしています。
(※イタリアの歌劇場はどのソロ歌手もフリ一ランスでしか活動できないシステムになっていますが、ドイツの歌劇場では専属とゲストの二つのシステムがあります。)
ヨーロッパが活動の中心で、ヨーロッパ内は、どこへでも、1時間以内に飛行機で飛んで行けます。今、ベルリンに住んでいますが、どこに住んでもいいと思っています。
今後もヨーロッパ中心でいきたいけれど、日本人だし、日本の公演を増やしたいと思います。日本の人にも是非、楽しんでもらいたいですね。

ありがとうございました。今後のご活躍に期待します。

※平成20年10月27日 名古屋にて取材

(文責:S57卒 佐宗美智代)