1982年 滝高等学校卒業
1982年 東京大学教養学部文科二類入学
1984年 東京大学経済学部経済学科進学
1986年 同学科卒業
1986〜2000年 通商産業省(当時)
行政官として、通商産業政策や地域政策(自治省出向中)の企画・立案・遂行に携わる。
また、この間、通商産業省から派遣されて、米国タフツ大学フレッチャー法律外交大学院に留学。
2000年 東京大学社会情報研究所 助教授に着任
2004年 組織変更により、東京大学大学院情報学環・学際情報学府 助教授
2009年 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 教授
現在に至る
所属学会
日本社会情報学会(理事)、社会・経済システム学会(理事)、日本経済政策学会(幹事)、情報処理学会、進化経済学会、アメリカ経済学会、Institute of Electrical and Electronic Engineers
研究室ウェブサイト
http://tanaka.in.coocan.jp/
“現在のお仕事に就くまでの経緯は?”
高校生の時、政経の大野先生から、伊東光晴著『ケインズ』、岩波新書から出ている経済学の本ですが、これを紹介されました。それが、僕が経済の道に進むきっかけになりました。
当時、漠然と、戦争をしない平和な世の中になるには、どうしたら良いかとずっと考えていました。ずっと子供の頃から、母の兄が戦死をして家族が大変だったという話を聞いていたので、再び戦争の世の中にならないためにはどうしたら良いかと考えていました。
この本を読んで、経済政策がその解決手段の一つになりえると気付いたのです。経済理論に基づいて経済政策を行うことで世の中がうまくまわるようになるんだ。経済って勉強すると世の中うまくまわるようになる。それに役立ちたいと考えました。それで、経済を勉強するため、東大の文2を受験しました。
就職の際にも、そのためにはどんな仕事があるかと考え、経済政策を実際にやれるところが良いと思い、当時の通産省に入りました。
”霞が関ですか。それで、どうして又、大学で研究されることに?”
通商産業省で十数年働いて、三十代半ばに、2つ感じることがありました。1つは、理論的背景の重要性です。学問的考え方をしっかり持たないといけないと思いました。90年代半ば、マクロ経済運営に関する部署に配属されました。90年代前半には米国に留学もさせてもらいました。それでも理論的な理解は十分ではないと普段の仕事をしながら感じました。どんどん時代は変わり、過去に学習した理論は古くなっていきます。まだまだ甘いと思いました。
行政の仕事をしていると、業界団体はこんなことを言っている、議員はこんなことを言っている、などということに振り回されます。そんな中、もっとぶれないで、自分の考えをしっかりする必要があると感じていたのです。
2つ目は、当時の同僚と話していたことですが、これまでの通産省のやり方では通用しないと感じていました。以前は、情報優位性がありました。省の中には他では得られない膨大な資料があります。過去何十年分の資料と、それからベテラン職員もいる。人が持っている情報も情報量も多いから負けるわけがないと思っていました。
ところが、インターネットの時代となり、又情報公開の時代となりました。インターネットでどこでも情報が見える。情報優位性で戦っていくのは無理と思いました。
これからは大学や民間シンクタンクが競争相手になっていくと思いました。それなら、大学に行って、敵の手の内を知りたいと思うようになったわけです。もともと興味があって両方やりたいと思っていたということもあります。
最終的には、世の中がうまくまわっていくために、自分はどんなに役に立てるか、ということが重要だとも思いました。
そんなことを感じていた時に、たまたま東京大学社会情報研究所が、霞が関で働いている人を募集していると聞いて、それに応募しました。最初は、役所の人事異動という形で東京大学にきました。他の人事異動と同じように、2,3年で通産省に戻るつもりでした。過去にも、先輩が何人も大学に行って、又省に戻っていますから。
大学では役所の仕事の説明をすれば、非常にうけると役所の同僚から聞いていました。大学でそれまでやっていた役所の仕事の話をやるのは簡単です。でも、せっかく大学に行くからには研究に打ち込むことが重要と考えました。
実際、やり始めてみると、研究というものは簡単にできるものではないとすぐに気付きました。そして、異動して1年後に、幸運なことに5年間の研究プロジェクトに参加することができました。5年間のプロジェクトの最後まで大学に残るには、通産省からの人事異動の形では無理で、退職して完全に大学に移る必要があります。
その旨を申し出たところ、再度、当初の異動とは別の、今度はパーマネントな大学教員として残っても良いか否かの審査が入り、結果大学側に受け入れて頂き、経済産業省を退職して、大学の教職員になりました。
経済産業省(元通産省)の仕事は今でも面白いと思っていますが、これも何かの縁だと思います。
5年間の研究プロジェクトの後、更に別の5年間の研究プロジェクトにも運よく携わることができ、この間に教授になりました。
”大学ではどんなことを?”
大学では、社会情報学という学問分野で教育研究しています。
社会情報学とは、経済学や法学からコンピューター科学までを範囲とする学際的学問です。つまり学問をまたいでいる学問です。
わかりやすく言うと情報をキーワードとして社会について研究していきましょうという学問です。だからといって何を研究していると聞かれると説明が難しいですが。
最近の研究の例としては、地域SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の分析をしました。インターネット上に書かれた日記の言葉を分析して、その中で使われている言葉、テキストをダウンロードして徹底的に分析しました。対象とした地域SNSは、総務省のeコミュニティ支援事業の一環で導入されたものですが、地域社会を考える時に、地域コミュニティを活性化するためにはどうしたらいいか?という問題提起に対するものです。
この研究ではソーシャルグルーミングという考え方をあてはめてみました。いわゆる社会的毛づくろいですが、毛づくろいはサルの世界では信頼関係を築くのにとっても大事なことです。地域SNSが地域の信頼関係の基礎を築く上で似たような機能を果たしている可能性を明らかにしました。
この研究は人類学者とご一緒した研究活動も参考しながら進めました。結果がなかなか出ず、途中何度もあきらめかけましたが、この度、ようやく一定の結果を得ることができました。
又、別のテーマになりますが、広告に関する研究をしています。広告が企業価値にどんな影響を与えるかという研究です。リーマンショック以降で企業の経営環境はますます厳しくなり、多くの企業は広告経費を削減しました。削減によって一時的に収益構造が改善されるように見えますが、長期的にみてそれで大丈夫だろうかという問題意識がありました。
そこで、広告は企業価値を高めるという点に着目をして研究を進めました。企業価値にはいろいろな考え方がありますが、その一つに株価に基づくものがあり、それを用いて研究しています。この企業価値と広告の関係に関する研究は日本ではあまりないですが、アメリカではさかんにやられています。日本企業を対象に財務諸表で開示されたデータなどを用いて分析しています。例えば、不景気の時の方が広告による企業価値向上効果が高い可能性があることを示す結果も出つつあります。
ほかにも、ソーシャル・イノベーションに関する研究も行っています。例えば、札幌市の中小企業の取り組みを対象とした事例研究を行いました。このケースでは、従来囲い込んでいた商売の情報を逆にインターネットでオープンにすることで、事業者間の新たなつながりができてビジネスが進む可能性を示したり、行政やNPOが結節点として機能したりすることなどを明らかにしました。
さらに、情報セキュリティの経済的な研究やコンテンツ産業に関する研究もやっています。後者については、2009年に『コンテンツ産業論 混淆と伝播の日本型モデル』(東京大学出版会)という書籍として出版しました。
“なるほど、実社会に即した面白い研究ですね。”
”ところで、滝高校の生徒さん達がいらっしゃったとか?”
はい、ちょうど先週の土曜日(10月2日)に、滝高校の1年生、2年生の現役生徒さん達を、滝の福地先生が引率して東大に見学に来たので、学内案内などお世話をさせて頂きました。
母校からお話しを頂き、少しでもお役に立てることは光栄なことです。
“私も卒業生の一人として、母校にお役立ち頂いたこと感謝いたします。
今日の取材は、ありがとうございました。今後、益々ご活躍されることを期待します。”
写真提供:滝学園 福地敏温先生
2010年10月4日取材
東京大学本郷キャンパスにて
(文責:S57卒 佐宗美智代)