昭和61年(1986年) 3月 滝高等学校卒業
昭和62年(1987年) 4月 東京大学理科2類 入学
平成3年(1991年) 3月 文学部心理学科 卒業
平成3年(1991年) 4月 NHK入局
現在まで 制作局の文化・福祉番組部にてドキュメンタリー番組、および歴史関連の番組制作に携わる
平成27年(2015年)第63回 菊池寛賞を次の作品で受賞
NHKスペシャル「カラーでよみがえる東京」「カラーでみる太平洋戦争」
著書:「カラーでよみがえる東京-不死鳥都市の100年」NHK出版
“菊池寛賞の受賞おめでとうございます! 去年の終戦記念日にTVで拝見しました。すごいですね。”
ありがとうございます。戦後70年の節目の年に受賞できたことはとても感慨深いです。去年の夏、NHKでは戦争関連の番組がたくさん作られ、NHKスペシャルだけでも10本ちかい力作が並びました。最近はNHKの番組に対する風当たりが強いですが、そんななかで歴史のある賞に選んでいただいたことは、大きな励みになりました。
去年の終戦記念日に放送された「カラーでみる太平洋戦争」は、ここ数年取り組んでいるプロジェクトの2本目で、最初の作品は、2014年10月に放送した「カラーでよみがえる東京」。企画は2012年の秋から始めました。2020年の東京オリンピック開催が決まる前のことです。
白黒フィルムの映像をデジタル技術でカラー化するのは、いま欧米の歴史番組のトレンドになっています。きっかけは、2009年。フランスのテレビ局が第二次世界大戦のアーカイブ映像をカラー化したシリーズを制作し、世界的に注目を集めたのが始まりです。日本語版もBSなどで放送されました。その時にカラー化の技術をもったフランスの制作チームとNHKとの人間関係ができました。
そして、たまたま自分のところに、このプロジェクトの仕事が来たわけです。
この仕事の前までは、現代史の番組や、様々なジャンルのドキュメンタリーをやっていたわけで、アーカイブ番組の専門家というわけではありません。アーカイブ番組といえば、「映像の世紀」という大ヒットシリーズがあり、またオリジナル・カラーフィルムを収集して作った番組も過去にありました。だから、今回はどういう映像を集めて、なぜカラー化するのか、突き詰めて考える必要がありました。それと、東京の歴史を描くと言っても新鮮味がないと皆さんに見てもらえない。現在と過去のつながり、連続性や関連性を意識して、同じ場所の今と昔を行き来する「ブラタモリ」みたいな演出をヒントにしました。2014年は、1964年の東京オリンピックから、ちょうど50周年。その特集番組の一本として放送されたのがNHKスペシャル「カラーでよみがえる東京」でした。白黒映像を全編カラー化した歴史番組は、日本で初めてとなりました。
“昔の映像もカラーだと現代のようで不思議です。昔の看板の色も本物のようですね。”
色は、1つ1つ調べて決めていくのです。カラー写真、彩色絵はがき、文字資料、現存する実物。とことん調べました。といっても、我々にしてみれば、普通の取材行為です。いつもの取材が色に特化しているだけで。歴史的な白黒フィルムは、ある時代を象徴するイメージ映像として使うことが一般的ですが、今回は、映像に何が写っているのか、何色かを徹底的に調べる。軍隊の映像なら、どういう部隊で、どういう階級の人たちか。それによって軍服や襟章の色が違います。赤とか黄色とか。
“気が遠くなりそうですねー”
気が遠くなる作業ですよ(笑)。ただ、色の世界は、カラーから白黒になっても変わらない要素があります。色の3要素のうちの「明度」は変わらない。そこからも、色の可能性を考えていきます。白黒の濃淡で、濃い灰色だったら、薄いピンク色はありえない、といった具合に。
例えば、あなたの着ているジャケットを白黒の映像にしてみると、明度から水色の可能性もある、でも、この寒い時期に水色はない、恐らく茶系かな?と。状況や時代背景から判断していきます。
“いちいち聞いていたら大変じゃないですかー?”
いちいちやるんですよ。社会問題を取材する場合と基本的には一緒ですよ。ドキュメンタリーの作り方はNHKで鍛えられましたから。信頼をどうやって得るかは、取材の深さによります。所詮TVのディレクターは研究者ではないので、その道の専門家の力を借り、知識を補いながら作っていく。それが醍醐味でもあり、やりがいでもあります。
色というのは人の感情にストレートに届きます。ダイレクトに心の深いところに届きます。映像の力で真実を伝えるテレビ番組の王道だと思いました。ほんとうに面白く、奥の深い仕事です。「東京」の放送後、大きな反響があり、次に「太平洋戦争」の制作に取りかかりました。
“遺骨の箱をもった兵隊のカラー映像を見ましたが、現代のようですね”
白黒のままだと、今の自分とは関係のない、はるか昔の遠い出来事のようで、リアリティを感じるのは難しいですね。白黒とカラーで、プツっと時代が切れる。父母や祖父母が実際に体験したことなのに。カラー化によって、そういうギャップを埋めることができればいいですね。
“NHKでのお仕事は、ずっと番組制作ですか?”
はい、ディレクターの仕事ですね。ドキュメンタリーの場合、1本の番組のディレクターは基本的にひとりです。ドラマになるとアシスタントが何人もいて大所帯になりますが。
企画書の作成から始まり、取材、台本の作成、ロケ、編集、ナレーション原稿の作成など、全部やり切ります。時には、徹夜になることもあり、肉体労働ですよ(笑)。撮影、音声、編集、美術、映像デザイン、CG、作曲、音響効果、ナレーターなど、プロフェッショナルな大勢のスタッフとイメージを共有しながら、番組を仕上げていきます。
“チーフ・ディレクターというのは?”
年くっているだけです。ディレクターはディレクター。普通の組織のなんとかの長じゃない。部下はひとりもいません。立場は新人と同じです。25年この仕事をして、立派な賞をもらっても、相変わらず小さい机でやっています。でも、それで良いと思っています。現場で番組を作るのは楽しいし、自分の足で歩いて、会いたい人に会い、見たいものを見に行くことは楽しいです。
↑NHKスペシャル「カラーでみる太平洋戦争」制作時、時代考証家(着物の女性)を交えて、美術スタッフと色彩表現についての打ち合わせをしているところ
“ところで、母校、滝高校のことで何か伝えたいことは?”
滝に行って良かったと思うのは、自分の身の丈を知ったことです。いや、6年間で学んだのかな?
小学校では自分は優等生でしたから。滝の同級生は学業だけでなく、スポーツや音楽・芸術も含めて才能がある人がたくさんいました。先生も型破りで個性的な人がいらっしゃいました。そんな環境のなかで、自分ってこんなもん?みたいな。得意・不得意がわかりました。
中高時代は地方に住んでいるのが嫌で、とにかく東京に行きたくて仕方なかった。でも、東京に来て、いい意味でも田舎者。滝は、私立の学校でも派手さはなく、生徒の自意識を妙に肥大化させないというか、勘違いさせない。勉強しろと、おしりは叩かれたけど、6年間地味に過ごしたことが根っこにある。質実剛健。その良さは失わない方が良いと思います。
授業では、栗本先生の英語が思い出深いです。中1の時から発音に厳しかったけど、そのおかげで、今でも、外国人に発音が良いと言われます。しつこく、しつこく教えられましたからね。英文法も独自のカリキュラム作りに情熱を傾けていらっしゃいました。最近伺った話では、テキストを徹夜して作っていたそうです。もちろん、当時はそんなことわかりませんでした。手作り感あふれるテキストだなあと思っていました。共学というのも良かったですね。女の子がいると雰囲気が違うじゃないですか?今にして思えば、すべてが自分の原点だったと思います。
学生の時、同級生はライバルみたいなところがありましたが、最近になって3年間、6年間過ごした仲間の絆というのを再発見しました。大学時代の同級生にはないものがあります。卒業生の先輩後輩も。故郷が一緒だというだけで、なんだか盛り上がりますしね。
今でも同級生で時々集まったりするし、作った番組を宣伝してくれたり、観てくれたり、本当に感謝しています。学生時代に特別仲が良かったわけでもない人や、話したことがなかった人までもが応援してくれる。FBでいいねを押してくれていたりすると、つらい時でも勇気がわいてきて、もうひと踏ん張りしようって気になります。精神的な支え、見えない底力ですかね?
今年は、東京同窓会の実行委員をつとめます。我々昭和61年の卒業生が中心となって頑張りますので、みなさまご協力よろしくお願いします!
【菊池寛賞 授賞式の様子】
ありがとうございました。益々のご活躍を期待します。
2016年1月取材
(文責:S57卒 佐宗美智代)